インターンシップ実習生レポート    2002年夏版


中央大学文学部 伊藤健一さん


 森さんと出会って間も無い頃、こんな話を聞いた。「私は、私が議員を辞め一市民となったとしても政治に参加できる体制を創るために今、議員活動を行っている」と。インターンシップを振り返り一番に思い出すのはこの台詞だ。市民参加のできる政治とは何か、自分なりに活動を通して見てきたことから考えてみたい。 
 市民参加の政治と聞くとまず僕は「市民全員が直接、政治に影響力を持てる場が設けられること」などと本当に単純に考えてしまうけれど、それは現在の政治制度を変えてしまうことになる。では、僕たちはどこまで政治に参加していけるのか?
 何度かこの紙面で紹介されているプラスチック問題で、あたかも市民にアンケートを取ったかのように見せかける行政のやり方からは行政側の市民へのいいかげんな態度がみられる。そして、議会はきっと傍聴しただけでは話の内容がさっぱり分からない。僕は最初、一体何語で話しているのだろうとまじめに悩んだ。そんなこんなで、あれよあれよと議題は採択されていく。これでは僕たちがいくら積極的になっても議会に対し何も言うことができない。行政は市民に背を向けてしまっている。こんな事は分かりきった事実ではないか、と思うかもしれない。しかし原点に戻れば、一般市民からほど遠くなってしまったように感じられる「政治」とは「どのような社会を創るかという方法の摸索」であって、決して一人歩きさせてはならないものだ。
 市民参加の政治とはつまり、開かれた政治を指し、市民が興味さえ持てばいつでも政策決定の在り方を伺える政治が行われていることを意味する。そしてそのために本来、議員は市民に代わり活動をする。僕たちは議員を通して、あるいは議員からのメッセージによって情報を得ることができる。森さんとの活動を通して学んだことはひょっとすると、中学生の頃、「公民」の教科書に書いてあったことだったかもしれない。         (中央大学文学部2年 伊藤健一さん)




おもちゃ箱&道具箱へ戻る