陳情第18号 東大原子核研究所跡地に原爆犠牲者慰霊碑建立を求める陳情                        (平成15年3月10日受理) 提 出 者 西東京市泉町         池 田  瑛  標題の地は公固化の計画が進行中と聞き及びますが、その一両に広島・長崎原爆に よる死没者の慰霊碑を建立されたく陳情いたします。  被爆死30数万人のとうとい生命は現在の平和な社会の礎となりました。「本土決戦、 一億玉砕、最後の一兵まで戦う」と怒号する軍への捨て石となり、終戦への道を開い たことを検証します。  昭20. 7. 26連合国側が無条件降伏を促したポツダム宣言13ヵ条、その末尾は凄惨そ のものでした。「右以外の日本の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」。真珠湾 だまし討ちの国に情け容赦はしない。降伏しなければ皆殺しだ……。これがアメリカ の強い意思でした。  しかし、帝国陸軍の伝統は、降伏はいかなる場合でも許されないことでした。この ためサイパンも硫貧島も沖縄もすべての島々で水際末で追い詰められ自決か、バンザ イ突撃により全滅する悲惨な結末を繰り返してきました。「死は鴻毛より軽く義は泰 山より重し」。降伏より死を選べと強制してきた統帥の府が降伏して長らえる、何のか んぱせあって諸霊にまみえん……。この心情からポツダム宣言を黙殺したと推察いた します。  このような考え方は西欧流の合理主義では理解できないことです。黙殺のツケは直 ちに宣言後11日日、20. 8. 6広島へ原爆投下、次いで8.9長崎にと「迅速なる壊滅」 を実証しました。  この残虐きわまる爆弾の衝撃は大きく深刻でした。和・戦を決する御前会議は長崎 被爆当日、9日午前11時30分から皇居内防空壕で開かれ、徹底抗戦派の頑強な主張も あって延々深夜に及び10日午前2時半、天皇の決断によりポツダム宣言受諾、降伏が 決定しました。主戦派阿南陸相は14日、割腹して果てました。  あのまま本土決戦に突入していたらと思うと慄然とします。松代大本営10キロメー トルのトンネルに天皇を擁して断末魔の抵抗を策していた陸軍は、国体護持と特攻で 突っ込ませた若い命に対する責任感はありましたが、国民の生命への配慮は全くあり ませんでした。昭20. 6 . 23、くしくも沖縄全滅の日に制定された「国民義勇兵役法」は 軍も民間人も区別なく戦闘に駆り立てようというもので、いねば一億総特攻化。日本 全土が焦土となり阿鼻叫喚のうちに白骨の山が築かれる地獄絵が各地で現出したこと でしょう。思えば日本は「完全なる壊滅」の一歩手前で奈落のふちからはい上がった のです。  今、北朝鮮の威嚇によって核兵器問題は大きくクローズアップされてきました。こ のときに当たり慰霊碑建立によってあの日の惨禍に思いをはせ、二度と起こらぬよう 祈念してその廃絶への願いを新たにすることは、平和宣言都市としてまことに意義の あることと存じます。8月6日、8月9日の特定の日のみならず、常時仰ぎ見ること によって、戦争の惨めさを思い、平和のありがたさをかみしめる、これが最も大切な ことと信じて疑いません。周恩来さんは「おいしい水を飲むときは井戸を相った人の ことを思え」と説きました。平和という大きな井戸を細った多数の人々のことを忘れ ず、未来に向かって前進しようではありませんか。市議会議員の皆様の御賛同を切に お願い申し上げます。