森てるおの議会報告 2000年3月議会一般質問

 2000年3月議会本会議における森てるおの一般質問をお知らせします。
 答弁や再質問は議事録が出来上がった時点でお伝えします。


 一般質問を行います。
 質問に入る前に、この場をお借りしまして、先日逝去されました故井上直人議員の御冥福をお祈り申し上げます。

 さて、2OO0年を迎え、今なおバブル崩壊後の経済不況が続く今日、保谷市においてもさまざまな解決するべき課題を抱えております。
 それらの課題の解決のためには、古いパブル時代の考えを一掃することが急務であります。バブル後を「低成長時代」と言いながら、実際のところでは右肩上がりの経済成長を夢見ているということはないだろうか。 多くの行政課題に比べて十分とは言えない財政、この現実をどのように解決すのかが問われています。今の保谷市政は、残念ながらその視点がありません。
 来るべき21世紀に向けて、私たちが今やらなければならないのは、市民の納得が得られる行政の創造ということであります。情報公開も、市民参加も、そのためのものであります。
 行政は、積極的に説明責任を果たしなさいというのもそのためであります。市民が税金を払って私たち議員や市長、そして行政組織をつくっている、この余りにも当たり前のことがなおざりにされてきた、市民はそのことに今、目を向け始めています。 バブル崩壊前までのようなわけにはいかないということを理解するべきであります。
 この間に、私が出会ってきた市民の多くは、決して自分の利益の主張をしているわけではありません。「なぜなんですか」「どうしですか」と聞き、納得できないことには「おかしい」と言い、納得できることは素直を理解を示しています。 このようなことは、一般的な傾向としてもあります。このような市民に沿った行政が行われているかどうか、ぜひ自省していただきたい。 情報公開、市民参加を言いながら、それを口先だけにとどめておいて、市民合意をおそれ、ますます行政主導を強めているのが、今の保谷市政ではないでしょうか。

 さて、市長の施政方針ですが、意気込みや苦心はわかるけれども、果たして具体的にはどうなんだろうかと思っています。
 施政方針には、「ますます増加する高齢者の健康保持・増進の対策と生きがいづくりを充実させてまいります」とありますが、福祉会館の日曜、祝日の閉館というのは、その機会の減少になるとは考えませんか。 市民が自発的に心身両面での健康保持に努力していこうすることに、水を差すことにはならないのでしょうか。  「快適な市民生活の向上と人にやさしいまちづくりを目指し」とありますが、何が快適か、だれにとって快適かという検証を抜きにして一般的に言ってもきれいごとにすぎない。この点については、後で改めて質問いたします。
 この間の質疑の中で、税金を払った人への施策を重視するような答弁がありました。富士町市民集会所が移転されることについて、午後8時までという時間で、果たして平日、日中働いている納税者に配慮していると言えるのでしょうか。

 また、合併に関連して情報提供に言及されています。冒頭に述べたように、情報公開はこれからの行政運営には不可欠の事柄です。情報公開のまず最初は、行政みずからの説明責任−アカウンタビリティーであります。 この説明に対する質問は、出てきて当然ではありませんか。しかしながら、保谷市のホームページには、「質問には、原則としてお答えいたしません」と書かれています。情報公開の観点から、聞かれたことに答えないという記載について、市長、どう考えるのでしょうか。

 次に、合併の問題でお伺いいたします。  施政方針の中では、新市の名称に8,7OO通を超える応募があったことを高く評価されているのですが、住民投票を求める署名が保谷市で9,100名余り、田無と合わせると1万9,000名分の署名簿が提出されたそうです。 期間も短く、全国募集ではなく、また有権者だけ、重複署名はできない、商品は出ないという中での保谷市民9,1O0名の署名を市長はどのように評価されているのでしょうか。
 また、施政方針の中で意向調査を「全国にも例のない投票方式」という評価をされています。しかし、住民投票もまた全国的には珍しいものです。保谷市民にしても、一生の間に一度あるかどうかのことです。 はっきり言って意向調査は、住民投票の後でやれば、仰々しく全国に例のやり方でやらなくてもできるのであります。
 住民投票を求める署名に応じた多くの市民は、一体保谷市民の中で合併に賛成の人がどれぐらいで、反対の人がどれくらいなのか、市民の意向が合併に向いているのかを確認し、その総意に基づくことを求めています。今の時代にしてみれば当たり前のことです。 市長が「反対が多いはずがない」と考えるのであれば、それが市民の目にはっきりと見えるように住民投票を積極的に提案するべきではありませんか。
 私が今一番心配しているのは、新市名の募集にしても、新市への希望や注文にしても、今の時点で賛成の立場に立っている人からしか出てこないということです。 反対、わからない、嫌だなどと考えている人たちは、住民投票で方向が確認されて、初めて新市名や新市への希望を語れるのではないでしょうか。これが、納得できるということです。 せんだっての合併協議会で、「意向調査の中で賛否と一緒に新市名や希望を聞かれても、反対の方は答えられないではないか」との質問が出ていました。 事務局の回答は、「そういう人は、答えなくても構いません」というものでした。市長もおわかりだと思いますが、答える条件が整っていないではないかと尋ねているのであって、個人の選択レベルでの話ではありません。市長、この質問に改めてお答えしてみてください。

 浮遊粒子状物質(SPM)、ディーゼル排出微粒子(DEP)について伺います。
 快適な生活の第一の前提は、健康であります。さきの尼崎の道路公害裁判で、SPMの排出差しどめの判決がありました。その基準は環境基準の1.5倍、1立方メートル当たり0.15ミリグラムとなっています。 保谷市の柳沢測定局では、1日当たり0.164ミリグラムで、調査1,798地点中第9位の汚染度で、環境基準はもとより、差しどめの基準をも1割方超えています。 近隣の測定地点でも、環境基準を達成している測定地点はありません。このSPMは、3・2・6号線では環境影響評価がなされておりません。 市長は、このことについてどう考えますか、お答えください。
 DEPについては、その大半がディーゼル車が原因だとされていますが、このほど、国立環境研究所がラットを使った実験で、これまでの呼吸器系に加えて、血管や心臓などの循環器系においても影響を与えていることを確認しました。 市長は、このことを耳にしてどう考えますか、お答えをお願いいえします。
 都道3・3・11号線について。
 この道路は、放射7号線の接続道路であり、予想では2万3,500台の車両が通過します。この道路には、環境施設帯も想定されておりません。市長は、この道路の環境対策はどうお考えでしょうか。

 下水道事業受益者負担金についてお伺いします。
 この部分については、ただいま調査中であり、せんだって全員協議会で中間報告がなされております。したがって、きょうは1点だけの質問にとどめておきたいと思います。
 寄附の要請にかかわる部分について伺います。時効となってしまったものを寄附という形で収納することには、地方財政法上の問題はないのでしょうか。 また、問題の有無にかかわらず、徴収金と寄附とは明らかに違うわけであって、寄附によって事実上つじつまが合ったとしも、それでいいことにはならない。 この点についてはどうお考えでしょうか。

 介護保険については、先般来、かなり多くの質疑がなされました。私の質疑については、予算委員会、その他、別の場所に移してお伺いしたいと思います。

 社会教育について。
 社会教育については、この間、外目にもかなり混乱を来してきたという印象を受けております。教育長は、これらの混乱をどのように受けとめているのでしょうか。社会教育の場での行政の果たすべき役割をどのように考えているのでしょうか。 公民館の中央館方式というのは、何のために行ったのでしょうか。施政方針の中では、「手続等の統一をはかり、利用者にとってわかりやすく、利便性の高い公民館にしてまいります」とありますが、利用者の利益はこれだけなのでしょうか。

 次に、順序を変えまして、ごみ対策についてお伺いいたします。
 4月からの容器包装リサイクル法の本格的な施行に対してどう対応していくおつもりなのか、現状とはどう変化するのか、この点についてお答えをお願いします。  それから、脱焼却ということについてお伺いいたします。
 ごみの減量の方策として、買わない、売らない、つくらないということが重要との見方は、市長もこの間の質疑の中で表明されております。 その一方で、具体的な問題が出てくると、途端に燃やすか埋めるしかないと後退してしまいます。方向性を示すことがなぜできないのでしょうか。
 大量消費、大量焼却を前提としたエコセメントなどの大規模廃棄物産業が生み出されれば、大量消費から抜け出られなくなるのは当たり前です。 私が高炉還元の話をしているのは、プラスチックごみが減量してくれば、それに合わせて一部あるいは全部の撤退が可能だという点にあります。 大量処理の固定ではなく、減量化、ひいては脱焼却を可能とする施策を検討していく考えはあるのでしょうか。

 次に、「日の丸」「君が代」についてお伺いいたします。
 教育長のお考えは、よくわかりました。教育委員会の申し合わせ事項を破棄した今、それまでと何が変わるのですか。
 「日の丸」「君が代」は、ともに日本の戦争遂行に大きな役割を果たしてきました。単に戦争遂行に当たっての戦意を鼓舞してきたばかりでなく、他国民にそれへの忠誠を強制したという点において、星条旗やユニオンジャックなどと異なっております。 日の丸は、戦争中に人類への災禍を与えたドイツ、イタリアの旗と同様、廃棄するべきものでありました。 「日の丸」「君が代」を先頭にして、日本がアジアと自国と人々に与えた災禍については、そして心に残した傷についてはすべての人が、先ほど来、質疑の中にもありましたように理解を示しているところであります。
 ところが、近年、歴史を曲げ、事実から目をそらせることによって、日本人に誤った誇りを与えようとする勢力が生まれ、さまざまな発言を続けております。 彼らはみずからの歴史を正しくとらえて、それを反省できることを自負として誇りを手にする、そういう方法ではなく、歴史を「自虐史観」とののしることで自己合理化をし、自己満足を追求しているにすぎません。 ところが、ある学校長から「自虐史観」という言葉を聞きました。「自虐史観」という観点が教育の現場に入り込んでくるとすれば、大変な問題であります。教育長のこの点についての見解をお伺いします。
 「日の丸」「君が代」が日本人とアジア人から快く受け入れられないのは、今はやりの言葉で言えば「いやし」がなされていないからであります。 人は、平穏な気持ちを持ち続ける権利があります。「日の丸」「君が代」は内心の自由の問題であることは当然で、何人も強制し得ないことは政府見解にもあらわれています。  しかし、処分をちらつかせながら、教員を「日の丸」「君が代」の実施に追い立て、その結果として子供と保護者の内心の自由もまた侵害されています。  このようなことは、子供のいじめの構図の中に多々見られることであり、教育者であれば厳に慎まなければならないものであります。 個々の子供を大切にすることが教育の大きな役 割となっている中で、「日の丸・君が代」だけを所与のものとしてあがめることを求めるのは、大きな矛盾であります。 また、さまざまな人々が住む地域の学校の中に、「日の丸」「君が代」を踏み絵のように持ち込むことについては批判をせざるを得ないものであります。 教育長は、強制あるいは強要ということについてどのような解釈をしておられるのでしょうか。
 庁舎前の日の丸について伺います。
 さまざまな住民がいる保谷市です。国の機関でもないのに、日の丸を常時掲揚しているのは納得できません。住民福祉の向上にどんな役に立っているのでしょうか。

 以上、明快なお答えをお願いいたします。

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