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ひとりでもできることから−2001年
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 市長選挙違反疑惑を追及

 合併後の市長選挙最終日に、保谷高範陣営が「田中康生長野県知事から激励電報が来た」と街頭でビラを配布。しかし、この電報は長野県知事は発信していないことが判明し、発信人は公職選挙法違反で罰金刑を受けました。
 また、事前ポスターで告知していた市内在住バイオリニストとの対談を突如「中止」。会場は定員15名の小さな会議室、なおかつ何の告知もなく「中止」され、楽しみにしていた市民は会場の前で待ちぼうけになってしまったという事件がありました。
 これら様々な不自然な行為による疑惑を森てるおは緊急質問等を行い、旧保谷市、旧田無市ということとは一切関係なく「是々非々」の立場で徹底的に追及しました。

 監査委員には専門家を

 旧保谷市では常勤監査委員が廃止され、非常勤の専門家が選任されました。しかし、西東京市では常勤監査委員が復活。市役所職員OBが選任されることになりました。
 森てるおは「監査委員には公認会計士や弁護士などの専門家を」と強く求めています。常勤となってしまうと専門家にお願いすることが難しくなります。「監査委員事務局の機能を強化して監査担当職員の実務能力を高め、監査委員は非常勤の専門家で」と新市においても強く求めました。

 超小型バスの導入で交通不便地域の解消を

 旧保谷市では「キャンバス」というコミュニティーバスが運行していました。しかし、西武池袋線の北側は公共交通がないのに、市はこれまで「道路が狭いので拡幅するまでバスを通せない」としてきましたが、森てるおは「幼稚園バスなどの小型バスは通っているではないか」と主張。
 西東京市の「はなバス」では外国製の超小型バスを導入し、西武池袋線の北側と芝久保町の交通不便地域の解消につながりました。

 一部事務組合議員報酬の削減を提案・実現

 市の仕事の一部を他市と共同して処理するために組織する団体を「一部事務組合」といい、西東京市ではごみ処理の「柳泉園組合」(東久留米市、清瀬市と共同)などがあります。 各組合には市と同じように議会があり、構成する各市の議員から何名かで分担して兼務することになっています。
 この一部事務組合議員になるとその組合からも報酬がでますが、森てるおは「議員は議員報酬をもらっているのだから、兼務先でさらに別の報酬をもらうのはおかしい。実費支給的な日当にとどめるべき」と兼ねてから主張しています。
 森てるおは「多摩六都科学館」を運営する多摩六都科学館組合議会の議員を兼務しています。森てるお自身としては報酬の全廃を求めていますが、はじめの一歩として報酬を半額に削減する条例改正案を提案し、実現しました。
 なお、森てるおは報酬の全廃が主張ですので、この半額の報酬の受取も辞退しています。

 市が自ら第三セクターに経営参加を

 田無駅北口の再開発店舗(アスタ)は西東京市が9割近くも出資する民間企業です。旧田無市の時代から旧田無市長の末木氏が代表取締役として経営参加していましたが、西東京市長選挙で保谷高範氏が市長になったあとも代表取締役は末木氏のままであることが判明。
 市長は「株主として経営を監視する」と答弁しましたが、経営を監視することと経営に参加することは大きな違いです。市民の貴重な財産である出資金を保全するためには市長、助役などが取締役として就任すべきだと強く求め、検討を約束させました。

 シルバー人材センターの不正経理を政治抗争で片づけるな

 市が運営補助金を出している旧田無市シルバー人材センターで不正経理疑惑が発覚。事務局長は事実上、市職員の天下り先となっていたうえ、経理書類が見あたらないなど極めてずさんな処理が明らかになりました。
 一部では「市長選で負けた田無いじめだ」との声も出ていましたが、森てるおは旧保谷市出身議員であるものの旧保谷市の不正問題も厳しく批判しており、この件に関しても政治抗争として片づけるのではなく厳しく追及し、公認会計士等の専門家による真相究明を求めました。



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